| 豊橋信用組合設立までの豊橋に本拠を置く金融機関の変遷 | ||
豊橋駅前にあったレンガ造りの銀行店舗 「電車のある風景より」 |
豊橋における金融機関の歴史は古く、中部地方の最初の銀行として第八国立銀行が明治10年に設立、本町で開業している。旧吉田藩士の中村道太が発起人で、福沢諭吉の教えに心酔、郷里の産業振興には本格的な金融機関が必要と説いた。経営ノウハウの欠如からやがて名古屋に本拠を置く第百三十四銀行に吸収される。その後、豊橋銀行(明治25年)、豊橋貯蓄銀行(同30年)、三遠銀行(同31年)が豊橋に本拠を置く銀行として設立された。なかでも三遠銀行(他ニ行は短期間で廃業)は、のちの豊橋信用組合の初代理事長に就任する高橋小十郎が、父の後を継いで頭取に就き、経営建て直しと事業拡大に尽力、大正10年尾三銀行(本店は名古屋)に合併させるまでの間、重要な役割を果たした。高橋は、豊橋市長、豊橋商業会議所会頭を歴任した人物で、地元中小商工業者振興のため信用組合の設立に奔走、同年、県下では二番目となる豊橋信用組合が誕生した。 |
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| 蚕都・豊橋 | |
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豊橋の生糸の歴史は古く、三河の犬頭糸である「赤引糸」は平安時代から伊勢神宮に献上されていた。製糸業が本格的に発達し全国的に「糸の町」として注目されたのは、上州から来た小渕志ちが真綿製造の原料に過ぎなかった玉繭から糸を引き出す玉糸製糸の事業化に成功してからである。玉糸は、厚みのある品質感から帯や和服の素材に用いられた。彼女は、明治25年「糸徳製糸工場」を設立、明治末には六百名の女工を抱えるに至った。蒸気機関による機械化が開発され、豊橋周辺には工場が一挙に増え、昭和初期には生産額は全国の8割を占め、蚕都・豊橋の地歩を確立した。
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